大阪を世界から優秀な人・お金が集まる元気な街にしたい
素敵な大阪を世界にPRしたい
大阪を日本国中や世界から優秀な人やお金が集まる元気な街にしたい。
モデルとして東京や海外の街にいったとき街の活気に驚きました。その半面で大好きな大阪が、元気がない、このままではいけないと感じました。
大阪に集まっている人やお金の規模は、海外では国が成り立つ規模です。でも住んでいて実感がない。日本で1番の都市はやはり東京であり、それぞれの分野のトップクラスの人達は東京に行ってしまいます。大阪を東京に負けない魅力的な街にしたい。
大阪を今より魅力的な都市とするため、大阪都構想を実現したい。今、大阪は府市統合本部が設置され本格的に大阪市と大阪府の統合・再編による効率的かつスピーディーな行政サービスの確率を図っています。今こそ本当の改革が必要不可欠です。
少子化対策(社会保障制度)
子供を育てるために仕事ができない。経済的には夫婦共働きが必要なのに、復職できない。このような状況で、女性の活躍は難しいし、子供を産むこと自体が難しい状況だと思います。
たとえ子供を産んだとしても、働いている女性にとって社会復帰するための制度や社会保障が必要です。待機児童問題、ワクチン接種勧奨と補助、検診など行政サービスの拡充が必要です。子供を産みやすい社会を実現したいと思います。
どうして政治家なの?
モデルという仕事を通じて、どんどん仕事が激減し日本経済の疲弊を肌で感じていました。モデルという仕事ではその現実に対して無力でした。そんなときに大阪維新の会の旗揚げを知りました。そして橋下徹代表の「大阪都構想」の話を聞いたことがきっかけで「日本を変えたい。大阪を変えたい」そんな思いが強くなり、政治家になれば現状を変えることが可能だと思ったからです。
私がモデルを始めたのは1995年で当時15歳の時なので、1991年のバブル崩壊の影響がまだまだ残る状況下でした。
本格的に一人で活動を始めたのが2001年で当時21歳です。
2001年~2007年は『いざなみ景気』と呼ばれる長期的な景気回復局面で、どの企業も「モデルという仕事を通じて、広報・販促を積極的に行い、売上げを上げよう!」という勢いを感じました。

それが変わり始めたのが2008年頃からです。

当時27歳で実家の福祉施設を手伝うために大阪・住吉に帰ってきて、モデルと福祉の勉強の両立が始まりました。
大阪に帰ってきて愕然としたのは、企業の体力の衰えです。明らかに以前より広報・販促にかける費用が少なくなっていました。展示会等で、以前はプロのモデルを10人使っていた企業が、モデル起用を5人となったり、出展する企業自体が少なかったりといった状況でした。2007年のサブプライム危機、2008年のリーマンショックの影響の大きさを肌で感じました。
大好きな大阪が弱っていくのは耐えられない!
モデルとしての自分が、それに対して大きな影響を与えられないことに歯がゆさを感じました。

このままではいけないと感じていた時に出会ったのが、「大阪維新の会」の橋下徹代表です。橋下代表の考えを生で聞いた時、脳をゆさぶられた感覚でした。

One大阪・大阪都構想の考え方は、大阪を元気にするために非常に理にかなった考え方だと思っています。
また、その改革を進める橋下代表の実行力こそ、大阪を変えてくれる希望です。
そして、最初で最後になるかもしれないOne大阪・大阪都構想を実現するチャンスだと思い、立ち上がることを決意いたしました。

変わることを怖がらずに何事においても前向きに取り組みをしていきます。